役員「を」面接

ご自身の経験について

QUESTION

自分の商社マン人生を
語る上で
欠かせない出来事を
教えてください。

永島

苦しい時を何度も助けてくれた、良き仲間たちとの一期一会の出会いです。社内に限らず取引先の中にも、妙に気が合う人との出会いがあります。出合った当初はそうでもなかった関係が、一緒に同じ方向に向かって取り組み、日々討議する過程を経て、かけがえのない仲間になった事も数多くありました。豪州駐在時代には、当時、採算性が低い案件だが、将来見越せるなら先手を打つ必要有りと感じ、立場の異なる社外の方々と喧々諤々の討議を重ねました。結果、夢を語るような案件ができ、後年に結果が残せた事はうれしい記憶です。

渡辺

取引先の倒産により、3億円超の貸倒損失と1億円の商品在庫を抱えたことは、商社マン人生においても大きな出来事となりました。また、経験として、海外駐在や営業部門だけでなく管理部門でもキャリアを積めたことも大きな転機のひとつです。入社3年後に営業から人事部に3年間異動し、採用活動をする中で、“会社とは”“組織とは”“人財とは”を学んだことが、今の私に繋がっていると思います。

市川

日本の中国貿易の創生期から20年以上関与でき、商売についての貴重な経験やノウハウを積めたことです。これは財産となりました。また、商社マン人生を語る上で欠かせないのは、1990年代からゼロ実績のインド貿易を開拓し、大きな商売実績を実現できたことです。

筑後

入社して1年が過ぎる頃、当時の会長から「営業スタイルには、誰々スタイルとかはない。早く筑後独自のスタイルをつくれ」と言われたことです。他には、支店や海外勤務時には、福井本社で培った知識や経験を活かせない分野の仕事も担当せねばならず、苦労しました。一方、海外では、日本からの取引先様経営トップの方と出会う機会が多く、今の財産となっている人脈の一部を構築できました。また、視野も飛躍的に広がりました。

QUESTION

失敗の経験があれば
教えてください。

渡辺

為替予約をタイムリーにしなかったこと(87円→97円)。輸入・円安により3万ドルの為替差損が生まれてしまいました。その他では、商品の価格表を異なる取引先にFAXしてしまったこともありました。まず、上司に報告し、すぐに気持ちを切り替えました。“命までは取られない”と自らに言い聞かせ、積極的に損失分を取り返すことに全力を注ぎました。

市川

インド貿易の更なる拡大を欲張った際に、与信力の弱い相手先に過剰投資して、資金回収にトラブルを発生させてしまったことがあります。会社のあらゆる部門の支援・協力のおかげで全損を免れ、遅延回収レベルまでダメージを減少させることができました。

QUESTION

海外駐在の経験について
教えてください。

市川

ある時から、直接商売から入るのではなく、対象先の会社やターゲットとなる人物の誠意・事業意欲の見極めを重視し、双方が信頼できるという確信を持ってから本格的な商売を進めました。まず、その国や地域の歴史・文化・考え方を積極的に学習し、その国や地域における人間の行動・思考性・好き嫌い・性格を把握するようにしました。駐在先として苦労したのは、中国とインドです。ほとんど未開拓・未経験の環境だったので、全てをまず“自分でやってみる”必要がありました。そのためなかなか順調に進まず苛立ちがありました。さらに両国はほぼインフラが不整備だったので、移動や食事、住居の不便さに泣かされた場面も多かったです。

筑後

お客様の稼働前には、海外(現地)の情報だけでなく、必要な食材・日用品を提供し、稼働してからは、お客様が生産に集中できるよう、煩わしい作業や業務などは極力当社が請け負いました。当社の必要性を感じて頂き、業績を上げることができました。また、海外においては同業他社との交流により、市場性や顧客状況などの情報共有ができました。

永島

米国とドイツに駐在した時は、言葉の壁よりも、人と文化が大きな壁になりました。好きな言葉に、「3惚れ」という言葉があります。仕事に惚れる、土地に惚れる、そして人に惚れるという意味ですが、新しい土地では常にこれを実践し、乗り越えてきました。米国では、ライセンスビジネスにも取り組みました。複数のMLBチームと、半年間何度も交渉を重ね、ライセンス契約を得ることができました。その商品がショップの棚に並んだときは感動したのを、今でも覚えています。